感情的

「立派な、最期でした」


そう言って遺族にお骨を入れた箱が渡される。
戦中や戦後間もない頃の話。


テレビや映画なんかでしばしば見たことのある、その箱を見せてもらえる機会があった。
10センチ四方の、小さな木箱。
フタをとると、小さな紙切れが一枚。
「陸軍○○ ××△△」と部隊の役職と氏名が書かれていた。
お骨は、ない。入っていた形跡もない、きれいな中身。


「連絡船とかも途切れてからの戦死やでね、お骨も遺品もないんだよ」


そう解説をいただく。うん、たしかに。
しかしながらこの箱を受け取り、中の紙切れ一枚を見たご遺族の気持ちを想うと胸がつまる。
だってね、例えば親からしたらさぁ、10何年、20何年大事に育ててきた息子が、紙切れ一枚になって帰ってくるんよ。
立派な最期だろうが、お国のためだろうが、我が子の死を悲しまない親がどこにおりましょうか。
奥さんだったら、愛するダンナが、紙切れ一枚になって帰ってくるんよ。
口では
「まあ、あの人は立派に戦ったのね」
とかって満足ですって感じのこと言ったって、そんなの100%の本心ではありますまい。
生きて帰ってほしい。
亡くなったのであればせめて、遺骨や、遺品とかほしかったはず。
そういう無念さみたいなのを思うと、なんかね。
きっと悔しかったんやろうなって。
勝手な想像やけど。


でも、この話には続きがあって。
箱を受け取って後日、ご遺族のもとに再び木箱が届けられたそうな。
今度は、空箱。
これも、見せていただいた。
からっぽの、きれいな箱。


つまり、いつ死んだのかとか把握できてないってことなんやろうね、国は。
とりあえず送っとけ、みたいな。


ほんと、ふざけた話や。
軍は、国は、祖国を守ろうと必死に戦い、散っていった命をなんやと思っていたんやろう。
なんか、哀しかったんよ。